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2011年2月13日 (日)

南極越冬記を久しぶりに読んで思ったこと

 ずいぶん長い間入手できなかった南極越冬記 (岩波新書 青版)が久しぶりに復刊したのを知って読んだ。この本は、30年以上も前に読んで、過酷な南極の地で、基地を建設するところからスタートし、後半には探検旅行をするまでになるところに感動したのを覚えている。この本は好きな本で、何度か読み返したものだが、何度かの引っ越しの間に紛失してしまっていた。
 再読して感じるのは、リーダーの見識と孤独である。当時の西堀氏と同じくらいの年齢になってから読むと、昔と同じところで感心することと、昔何度も読んだのに全く覚えていないところに感心したりする。
 越冬が始まって5ヶ月以上たったときに、意見の違いが大きくクローズアップされる。

しかもかなり根本的な点において、当初からみんなの間に多少考えの一致しないところがあったことを認めねばならない。それは、越冬目的についてである。

 よくある話である。若い頃は、なんでこんなことが起きるんだろうと思っていた。しかし、今の年齢になってわかることは、最初からこの件を話し合っても、実は無意味だったろうということである。その場になって真剣に話した方がいいこともある。

 私の小さい頃は、南極観測隊は大きなニュースにはならなかったが、それなりにTV・新聞で取り上げられる話題であった。「南極観測隊の記録」という子供向けの本があって、小学生の時(40年前)にこの本を熱心に読んでいたので、映画南極物語の前から、タローとジローの話を知っていた。越冬をあきらめた次の年に、隊員が基地へ行くと、誰かが食べ残したカレーが食堂に残っていて、南極なので腐っていなかったとか、つまらない話を覚えている。予算の問題で、南極観測にいろいろ注文がつくこともあるようだが、先人の苦労を無駄にすることだけはないようにしてほしい。

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