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2011年3月21日 (月)

みんぱくゼミナール:みんぱく誕生

 私は理系なので、民族学に興味があるわけではない。そんな私か見ても、国立民族博物館の展示はおもしろいものが多いので、大阪へ単身赴任してから年に1回くらいおもしろそうな特別展があれば行っている。今回の特別展は、私が若い頃非常に影響を受けた知的生産の技術の著者であり、国立民族博物館の元館長としても有名な梅棹忠夫氏に関する展示会であるウメサオタダオ展が国立民族博物館で開催されていたので、1年ぶりに行った。その時のことについては、前回書いた。
 その特別展に関連した行事として、みんぱくゼミナールで、みんぱく誕生というゼミナールをやっていたので、せっかくのチャンスなので聴講した。みんぱくというのは、国立民族博物館の愛称であり、梅棹氏の後、2代めの館長であった佐々木高明氏にみんぱくの誕生前後のエピソードを聞く、という内容である。このあたりの事情については、梅棹氏自身の対談民博誕生―館長対談という本があるのだが、古本でしか手に入らないようだ。
 佐々木氏は梅棹氏の下で、実務担当のまとめとして活躍されたそうで、話し上手なのでいろんなエピソードを興味深く聞くことが出来た。その中でおもしろかった話をいくつか紹介したい。
 みんぱくの売りの一つが、ビデオテークである。民族学には単に展示できないものも多い。たとえば、祭りなどは民族学にとって貴重なデータだがこれをビデオで見られるという仕組みである。今の時代ではVODの技術で簡単に作ることが出来るが、みんぱく創設の1977年としては画期的なシステムであった。映像の入ったビデオテープを入れた格納庫があって、ブースから番号を押すと、そのビデオをロボットアームでピックアップして、ビデオ再生機へセットするという仕組みになっていた。梅棹氏は、「コンピュータを使って電気紙芝居のようなものを作って欲しい」と言ったそうだ。そのコンセプトを実現するのに、コンピュータだけでなく、ビデオをロボットアームでピックアップする装置など、多くの大学関係者も協力したらしい。この仕組みは、ビデオと同じくらいおもしろかった、と語っていた。そう言えば、昔のみんぱくはこのシステムをガラス窓の部屋に入れていて、来館者が見えるようにしていた記憶がある。
 みんぱくの今の名前は、国立民族学博物館だが、設立前の仮称は、国立民族学研究博物館だったらしい。ところが、あの敷地は、公園という用途になっていて、公園に設置できる建物は法律で制限されているらしい。そのため、研究機関は作れないという建設省(今の国交省)からクレームがついた。公園には展示をする建物は作ってもいいということで、文部省(今の文科省)と相談の上、研究を取って、展示するための場所ということで認可を取ったらしい。今も昔も、役所というのはややこしいところだ。
 それ以外にも、展示場に展示されている大きなカヌーは大きすぎて建物が出来てからでは搬入できないので建物を作っている最中に搬入した、とか、民家の模型は10分の1模型である日の民家の測定したそのままを復元するようにしている、とかいろんなエピソード満載であった。
 国内の博物館の中でもかなり異色な博物館なので、こうしたエピソードをまとめて本にして欲しいと思う。

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