« 地域に根ざした研究-ワインを大学で研究してたんだ:一方で消える分野も-研究の継続の重要さ | トップページ | 江戸東京博物館へ行ってきました:特別展「東京の交通100年博」はあっさりしていた »

2011年8月11日 (木)

技術の継続性:カネの切れ目が技術の切れ目

 日経ビジネス8/15号に、もっと日本で地熱発電を、という記事があった。その中に、「地熱の開発に精通した技術者が高齢化してきた。プロジェクトを増やさないと、中堅・若手にそのスキルを継承する機会が少なくなり、将来的には技術者が枯渇する。」という実態が述べられていた。最近、本当によく見聞きする話であり、毎回、危機感を感じる。以前にもこのあたりのことを書いたことがある。
 原因はいくつかあるのだろう。まず、社会が依存している技術が広範囲になってしまっている、という事実がある。技術継承しないと社会として困る技術の絶対量が昔よりも増えている。しかも、技術というのは積み重ねなので、新しい技術が開発されたときに捨ててもいい技術というのはあまりなかったりする。おそらくは増えていく一方なのだろう。
 ところが、その技術に払われるカネは、新しい技術の方に傾斜している。コモディティ化した技術にはカネが落ちてこない。では、そのコモディティ化した技術分野には技術者は不要かというとそうではない。そもそも、その技術の奥深さと落ちてくるカネとは何の相関性もない。前回、阪大の溶接工学の話を紹介したが、溶接という社会基盤を支える技術ですら、最先端技術ではないということで、すたれていく。でも、最先端であることと、世の中の役に立っていることとは、これも相関性はない。
 社会の役立ち度に応じてカネが回るなら、ネットバブルなんて起きるはずはない。どう考えたって、ネット技術が農業技術以上に世の中の役に立っているとは思えない。でも、農業にはカネが落ちない。
 カネの切れ目が技術の切れ目、ということが現実では、あまりに寂しい。

« 地域に根ざした研究-ワインを大学で研究してたんだ:一方で消える分野も-研究の継続の重要さ | トップページ | 江戸東京博物館へ行ってきました:特別展「東京の交通100年博」はあっさりしていた »

学問・資格」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

技術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 技術の継続性:カネの切れ目が技術の切れ目:

« 地域に根ざした研究-ワインを大学で研究してたんだ:一方で消える分野も-研究の継続の重要さ | トップページ | 江戸東京博物館へ行ってきました:特別展「東京の交通100年博」はあっさりしていた »

2019年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

公告

  • Google Adsense
無料ブログはココログ