« 新しいiPadが出たらしいけど当分はiPad2で十分そうだ | トップページ | 単身アパートでの生活と自宅での趣味の時間:変わるものと変わらないもの »

2012年3月10日 (土)

文章日本語の成立:司馬遼太郎の講演より

 司馬遼太郎が語る 第4集 (新潮CD)を聴いた。副題は「文章日本語の成立」である。明治時代は漢文文化であり、それが現代のように日本語として文章語が成立するまでに約100年かかっている、という話である。その100年の中での特徴的な文章をエピソードとして語っている。泉鏡花の東京風俗の文章が読むに堪えないものであったとか、司馬遼太郎くらいの人でないと言えないような話をしている。
 その中で、桑原武夫との会話の様子が紹介されている。桑原武夫の友人が探検をすることになった。桑原武夫はその友人に、その時の内容をきっちりと本にまとめるように、と助言したらしい。その友人の名前は、講演の中では明らかにはされていないが、状況的に考えて西堀栄三郎の南極観測の時のことだ。西堀栄三郎の南極越冬記の中に、桑原武夫からの助言でこの本を執筆することにしたとあるから間違いないだろう。
 さて、その桑原武夫の助言に対して、西堀栄三郎は言う。「自分は理系だからそんな本は書けない」。それに対する桑原武夫の助言が面白い。「通勤の電車の中で週刊誌を読め」。
 司馬遼太郎によると、このころ、週刊新潮などの週刊誌が刊行された頃であるという。その中で、文章語としての日本語が確立したというのが司馬遼太郎の説である。その典型が週刊誌だったのだろう。西堀栄三郎は、実際に1年ほど週刊誌を読んで文章の書き方を体得し、南極越冬記を上梓したらしい。後に石橋を叩けば渡れないなどの多くの優れた本を残した西堀栄三郎の文章の師匠が実は週刊誌だったとは、なかなか面白いエピソードであった。
 現在ではどうなんだろう。文章日本語は再び揺れている。メールとブログの登場である。漢文文化から日本語文化への変遷ほどは劇的ではないが、やはり大きな変化であることには間違いない。この変化を司馬遼太郎のようにばっさりと切って簡明に説明してくれる説を知りたいものだ。

« 新しいiPadが出たらしいけど当分はiPad2で十分そうだ | トップページ | 単身アパートでの生活と自宅での趣味の時間:変わるものと変わらないもの »

文化・芸術」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/568535/54184802

この記事へのトラックバック一覧です: 文章日本語の成立:司馬遼太郎の講演より:

« 新しいiPadが出たらしいけど当分はiPad2で十分そうだ | トップページ | 単身アパートでの生活と自宅での趣味の時間:変わるものと変わらないもの »

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

公告

  • Google Adsense
無料ブログはココログ