カテゴリー「学問・資格」の記事

2016年7月17日 (日)

失敗の重要性を学ばせる

 もうすぐ夏休みが始まる。夏休みの宿題の定番の1つが自由研究だ。私が子供のころ、この自由研究が大きらいであった。その後理系に進み、今でもプログラミングしたりするのが好きな現場大好き人間の子供のころとは思えないくらい、自由研究はきらいだった。
 たぶん、その自由研究を学校に持っていくという行為そのものがきらいだっだのではないか?私は不器用だったので、学校に持っていくような完成度の高いものはできなかったのである。まあ、大抵の場合、途中で挫折するような子供であった。
 米国の“自由研究本”は「失敗してから」が華:日経ビジネスオンラインの記事で、米国の科学実験本には、失敗から学ぶことの重要性が書かれているという。素晴らしい本だ。失敗することが重要なのだ、ということを子供時代に知っていたら、今よりはましな大人になったかもしれない。そんなことを知らなかった私は、不器用な自分に劣等感を持っていた。今でも、その後遺症は残っている気がする。

2015年10月26日 (月)

放送大学の「Webのしくみと応用」が意外に参考になる

 私は組み込み系の技術者なので、Web周りの技術に関しては知識がない。それでも、海外旅行右往左往というホームページを作るときに、少しだけ勉強したが、全く体系的ではなかった。
 Web系の技術者になりたいとは思わないが、もう少しだけ体系的に知識を整理したいと思って、あまり期待せずに放送大学 Webのしくみと応用('15)を見てみたら、これが意外に参考になるのである。個々の話は、全て知っている話ばかりである。でも、その個々の話が、どうつながるかという全体像がわかるような形で解説してくれている。授業というのは、侮れない。

2015年3月18日 (水)

統計学に対する米国と日本の違い:米国にあって日本にないもの

 ビッグデータに関連して統計学に対する注目が高くなっている。統計学が最強の学問であるという本もあったりして、統計学という言葉はIT系の技術者の間でも勉強したいものの1つになってるのではないだろうか。
 ところが驚いたのだが、日本では大学に統計学部や統計学科が存在しないらしい。 統計学に関する専門家は経済学部や工学部などに分散して存在するという形態になっているようである。ビッグデータの活用といってもなかなか日本から面白い事例が出てこないはずである。
 一方で、米国では、スタンフォード大学などの主な大学には統計学部や統計学科が存在するという。さらには統計家という職業も公的に認知されていて、米国の雇用統計によれば約27,000人いるということである。日本では寡聞にして統計家という名前の職業は聞いたことがなかった。データ活用についてますます日本と米国の差が広がるかもしれない。

2015年1月14日 (水)

ソフト全盛の時代、もうハードを学ばなくて良いのか?:日経テクノロジー onlineの記事より

 前に感想を書いた「MOT(技術経営)を学ぶには技術と経営のどちらが先か?」という記事の筆者が、また面白い問いかけをしていた。今度はソフト全盛の時代、もうハードを学ばなくて良いのか? - 設計・生産 - 日経テクノロジーオンラインという問いかけである。
 結論は、ソフトもハードもどちらも重要というまあ当たり前の結論である。長期にわたって差異化するには、ハード・ソフト・サービスの融合が必要、ということだ。
 ただ、この記事の後半で、ハード・ソフト・サービスには、技術者として、学ぶ順序があるとも言う。少し引用する。

 技術の中でも学ぶ順番はあると思うのです。一言で言うと、基礎から応用へ。例えば、数学→物理→回路設計→機器設計→プログラミングといった順番です。
 <中略>
 若い時、頭が柔軟な時でないと難解な理論、基礎理論を学ぶことが難しい、というのは年を重ねるとともに実感します。一般的にも、最適な学ぶ順番というものもあるのではないでしょうか。

 私自身は、情報工学出身だが、実務としては回路設計→機器設計→プログラミングという順序で経験している。それが、組み込み技術者としての自分の基礎だ。
 数学→物理→回路設計→機器設計→プログラミングという順序の正当性はともかく、学ぶ順番によって、その技術者の技術の特性というのが出てくるのが確かな
気がする。どの順番が正しいということはない。ただ、若いころに基礎をきっりやったか否かは重要だろう。ソフト技術者でも、プログラミングだけでなく、若いころにはアルゴリズムとかグラフ理論とかをきっちりと理解する方がいいのは確かだと思う。

2014年9月 5日 (金)

物理の散歩道という昔の本に出ていたのと同様の問題が最近の日経サイエンスで取り上げられていた

 日経サイエンス2014年08月号を読んでいたら「蜂蜜がとぐろを巻く謎」という記事があった。これを読みながら、どこかで読んだような話だと思って記憶をたどってみると、思い出した。新 物理の散歩道〈第1集〉という本の中の「ミルクの糸」という記事の中で扱われている問題に似ているのである。
 後者は、イチゴにかけるコンデンスミルクがとぐろを巻くということからスタートして、とぐろを巻く原因が粘性であるという結論を出す。前者は蜂蜜がとぐろを巻く原因が何かということとで、粘性であるという結論だけではなく、高粘性流体の場合にとぐろを巻くモードまで解析している。もちろん前者の記事は後者に比べてかなり解析も進んでいるが、とぐろを巻くという現象そのものは同様の問題である。後者の記事の初出は1969年で、今から40年以上も前の記事である。
 こうした身近なとぐろを巻くというような現象が、物理学的にどうなっているかということが、きっちりとわかっている訳ではないということがよくわかかる。とぐろを巻くというような現象は物理学的な方程式だけでは解析できない分野なのであろう。

2014年8月25日 (月)

東工大の教育改革に期待する:日経エレクトロニクス8/18号の記事より

 日経エレクトロニクス8/18号の学生を「最強の技術者」に、東工大が挑む教育改革という記事を読んだ。東工大が2016年に大学改革を実施するのだが、その中での、電気・電子系の教育内容の改革のかなり具体的な内容について紹介されていた記事である。
 本当にすばらしい内容なのだが、その中でも最も感心したのは、科目ごとに独立して教育していたものを、それぞれの科目の関係性を教育するというところだ。学校というのは、科目ごとの独立性の壁が存在する。ところが、実際には、学問といえども工学のような実世界と関係する部分は、科目間の関係性はかなり大きい。わかりやすい例では高校の教育の例になってしまうが、数学と物理の関係がその典型であろう。数学で微積を勉強してから物理を勉強することで、微積の概念をよりはっきりと理解できるよになるはずであり、かつ物理の解法に微積の知識を使えるはずなのだが、そうはなっていない。おかげで、意味もわからずに物理の公式を覚えさせられることになる。実際には微積で考えれば、ほとんどの公式は導出できるというのに。大学の科目でも同じようなことがある。会社で実務をやっている中で、なるほど、あそこで習ったことはこういう関係性があったのか、というようなことを何度か経験する。本当は、そうしたことは、学校できっちりと教えてくれる方がいいに違いない。
 こうしたこと以外にも、いろいろと工夫が組み込まれていて、こういう体系で本当に教えられる先生がいるなら、このカリキュラムでみっちり勉強してきた学生は、基礎の「体系」をきっちり学んだ即戦力になると期待できそうである。
 最終ページでこのカリキュラムを検討中の松澤教授の経歴が、元パナソニックの技術者であると紹介されていた。企業の出身の先生なのである。どうりで企業の技術者から見て納得の内容になっているはずである。大いに期待したい。

2014年8月23日 (土)

代ゼミの拠点集約:学生がかわいそう

 代ゼミ:25校舎整理で7拠点に集約へ 少子化に伴い - 毎日新聞を読んでびっくりした。4分の1以下の拠点数にするというのは、かなりの影響だろう。今年、浪人中で、閉鎖される拠点で勉強している学生はかなり動揺するに違いない。閉鎖が3月末といっても、講師たちは自分の今後の身の振り方で頭がいっぱいになるだろうから、教育レベルも下がるかもしれない。
 賛否はあるにせよ、予備校が、日本における教育の一環をになってきたことは確かである。少子化の影響というありきたりの報道だが、それだけなのだろうか。日本において、教育にかける熱意が冷めていることも原因の1つかもしれない。

2014年8月 7日 (木)

地動説がすぐに受け入れられなかった科学的理由:日経サイエンス7月号より

 コペルニクスの地動説が世の中にすぐに受け入れられなかったのは、宗教界からの圧力によってだと思っていた。現にガリレオの宗教裁判の話は有名である。
 ところが、科学者の間でも、科学的な見地から地動説に懐疑的な科学者が多かったという話が、日経 サイエンス 2014年 07月号の「地動説への反論」という記事に掲載されていた。
 地動説では説明できない観測結果があり、従来の天動説を修正した修正天動説の方がより観測結果を正確に説明できるというのである。そうした地動説では説明できな観測結果というのは観測技術によるものであったり、光の性質に関する科学が未発達であったりという理由による。
 地動説というのは、出てきた時点ではあくまで仮説でしかない。世の中がその仮説をすぐに受け入れなかったのには、それ相応の理由があったということがよくわかった。宗教界の圧迫を恐れて、地動説が正しいと思って何も言わない科学者ばかりではなかったのである。当時の科学のありように関して、固定されたイメージが少し変わった。

2014年8月 5日 (火)

放送大学「錯覚の科学」は面白い授業:びっくりするような内容が満載

 技術者はどうしても知識が技術に偏りがちなので、少し広い知識を身につけたいということで、放送大学の放送を週に1~2講座見るようにしている。いまさら、放送大学でマジメに学んで卒業しようという目的ではなく、あくまで教養として勉強するので、テキストも購入せず、聞くだけのラジオよりは長続きしそうなTV講座を視聴している。
 今までいくつかの講座を視聴してきたのだが、放送大学 授業科目案内 錯覚の科学('14)という講座は出色のできである。そもそも錯覚という扱う内容が面白いのだが、講義の内容も見ていて面白いものにしようという工夫がこらされていて飽きずに見ることができる。
 秋からの2学期にも放送されるようなので、第1回の放送だけでも見ることを勧める。自分の目を信じられなくなる。

2014年7月24日 (木)

経済学の内部改革:日経ビジネスの記事より

 根が技術者なので、経済の動きに呼応した株式市場の動き対しては、少し批判的に見てしまう部分がある。特にリストラがらみの話はそうである。前回マイクロソフトのリストラ発表で株価が上昇するということについて否定的なコメントをした。経済というのは、儲けのことしか考えていないのだろうかと思ってしまう。
 ところが実際にはそうでもないようである。日経ビジネス7月27日号の世界鳥瞰「求められる経済学内部改革」という記事の中で、欧州の学生たちの間で新しい流れが出てきているという。少し引用する。

 経済学は心理学や政治学、歴史、哲学などと切り離されていてはならない。学生は、特に格差の問題や、経済学において(現在のように利益の最大化ばかりに目を向けるのではなく)倫理と公正さが果たす役割、あるいは気候変動がもたらす経済的帰結といったテーマを研究することに情熱を持っている。

 極めて健全な考え方である。純粋にお金のことしか考えていなければ、リストというのは会社にとって素晴らしい施策に違いない。しかし。そこに倫理と公正さという視点を持ってきたときに、経済合理性ということとの関係性を研究していく、ということは社会的価値があるに違いない。リーマンショックの原因となった。サブプライムローンのような詐欺的手法を考え出すことが経済学の使命ではないはずである。

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