カテゴリー「技術士」の記事

2014年7月 1日 (火)

ITエンジニアの新しい認定制度:技術士と何が違うのだろうか

 ニュース - 情報処理学会、ITエンジニアの新認定制度を開始:ITproというニュースを読んだ。少し引用する。

 情報処理学会は6月30日、「認定情報技術者(CITP:Certified IT Professional)」と呼ぶITエンジニア向けの新しいプロフェッショナル認定制度を開始すると発表した。大手ITベンダー6社が主導しており、情報処理技術者試験など従来の認定制度を補完する制度として位置付けている。
 CITP制度が手本としたのは、ソフトウエア技術者認定制度の国際標準「ISO/IEC 24773」だ。ITエンジニアは申請書を提出すると同時に、面接を実施して認定を受ける。申請書の記載項目は「知識」「業務経験」「プロフェッショナル活動」の3分野としている。

この制度は既存の制度と何が違うのだろうか。たとえば技術士の試験も基本的には知識と業務経験を問われる。しかも筆記試験だけではなく面接も行うという仕組みになっている。もちろん情報処理関係では情報処理試験の方が認知度が高く、技術士の認知度は著しく低い。だからといって今さら新しい認定制度を作る必要があるのであろうか。
 この資格はNECやNTTなどの大手ベンダーが制度の策定・推進に当たっているというのがウリである。それゆえに実践的な認定制度になるのではないかという期待もあるのだと思う。私自身は少し懐疑的である。そもそも、これらの大手ベンダーで、技術者の技術力を判定して正当に評価をするという評価制度が確立しているのであろうか。いろいろなIT雑誌を読む限りそうは思えない。百歩譲って、各ベンダーではそうした技術力に関する評価方法が存在するのであるが、門外不出で今までは公開されてこなかったというのであれば、そしてその問題不出の方法を各ベンダー間で持ち寄ってさらに良いものにするというのであれば、期待できるかもしれない。
 つまり期待できないということを私は言っているのである。よほど画期的なものでない限り、技術士などの既存の制度と改善する方向で検討するほうがいいように思う。

2012年6月12日 (火)

技術者にとって最も必要な教養は倫理かもしれない

 前回、東工大のリベラルアーツセンターの話で、理系における教養の重要性について思うことを書いた。
 東工大のような工学系の大学で、教養を学ぶ最も重要なことは、技術者の倫理かもしれない。技術は、社会のために立つことに意味がある。どんなに技術力があっても、公共の利益に反してまで金儲けをすることは許されない。どこかの誰かが言った「儲けるが勝ち」を技術者は否定しなければならない。それが、プロというものである。
 この技術者としての矜持をささえるのが個々の職業人としての倫理観だ。でも、倫理というやつは、まじめに学んだことはない。そもそも、高校でも、政経・倫理という科目があったが、マジメに勉強しなかった。なんか辛気くさいからだ。
 社会に出てわかるが、職業倫理というのは本当に重要である。重要であるにもかかわらず、会社の中で、このことをマジメに議論する機会はほとんどない。コンプライアンスというのが最近はやっているが、私は職業倫理の方が正しい姿勢だと思っている。
 技術士に、技術士倫理要綱というのがあって、その第1は、「技術士は、公衆の安全、健康及び福利を最優先に考慮する」とある。
 これを守るためには、「公衆の安全、健康及び福利」とは何か、ということがわからないといけない。しかし、実社会において、何が「公衆の安全、健康及び福利」なのかは本当に難しい。正解はないのだろうが、これを考えるのに教養は重要だと思う。願わくは、日本における工学の代表である東工大では、技術者が倫理を考えるときのバックボーンとなるような教養を教育してほしいものである。

2011年7月10日 (日)

清水三年坂美術館へ行ってきました:一見の価値のある小さな金属工芸の美術館

 学生時代に一度行ったきりだった清水寺へ行ったことを前回書いた。その帰りに、清水三年坂美術館というところに寄った。大阪歴史博物館で「幕末・明治の超絶技巧 世界を驚愕させた金属工芸 ~清水三年坂美術館コレクションを中心に~」という特別展をやっていて、幕末・明治の金属工芸が素晴らしいものであることを知ったという話は以前紹介した。その主要なコレクションが清水三年坂美術館のコレクションと言うことで一度機会があれば行ってみたいと思っていた。
 清水寺から歩いて10分ほどの場所にある小さな美術館である。大きな土産物店程度の大きさなのですぐに見て回れる。展示自体は、大阪歴史博物館での方がはるかに充実していた。小さな美術館では場所がないので、順に入れ替えて展示するしかなのであろう。しかし、入場料は500円程度だし、趣味のいい場所なので、工芸品に興味のある人なら満足できるだろう。
 今回、ここへ行って知ったのが、蒔絵の技法である。Webで書いてあるのと違い、もう少し詳細に説明されており感心した。蒔絵というのは表面に漆で絵を描き、それが乾かないうちに金や銀などの金属粉を「蒔く」。その後で漆を乾燥させ金属粉を定着させる技法である。このポイントは、普通の画材だと絵を描くと乾燥してしまって金属粉を蒔く時間をかせげない。ところが漆は通常は乾燥せず、温度・湿度がある範囲でしか乾燥しない。この性質を利用して絵を描いてから金属粉を蒔く時間をかせぐというのが蒔絵の技法のポイントらしい。
 乾燥させるのにある条件が必要という、ちょっと考えると欠点にも思えるような性質をうまく利用して、素晴らしい技法を完成させるというところに感心してしまった。こういうところを感心する人はあまりいないのか、Webで少し調べた限りでは載っていない。このことを知っただけで、行った価値があった。

2011年5月30日 (月)

サイバースペースのインフラとしての恐ろしさ:欠陥ソフトウエアの経済学

 以前書いた欠陥ソフトウェアの経済学 ―その高すぎる代償―を再び取り上げる。
 この本で興味深い指摘がある。少し引用する。

 サイバースペースは単一の創造物のように見えるが、実際は、はっきりしない資格とあてにならない才能を持った職人によって、標準化もされていないし、一貫した反復性もないテクニックを用いて開発された、手作りのソフトウエアの寄せ集めである。
 建築関連のエンジニアは、自然法則を相手に仕事をし、それらの法則が定義する限界に縛られている。しかし、ソフトウエアの作り手はサイバースペースの本質と構造そのものを自分で定義することができる。このように、ソフトウエア制作者は多大な責任を負っている。ほんの小さなプログラムでも、一度ネットワークに組み込まれたら「法則」の崩壊の一因となるのだ。

 少し過大表現のところもあるが、ソフトウエア開発者がピンキリであるということは事実だ。ソフトウエア開発者の技術レベルを示せる資格もない(本来、技術士資格がそれを担うべきなのだが実体はそうはなっていない)。そして、ソフトウエアを扱っている会社の経営層が、ソフト技術者の仕事を人月でしか考えていない、ということも周知の事実である。
 自社の技術者を人月でしか考えられない技術が、本当にサイバースペースという社会インフラ作りを担っていいのか、という問いかけであろう。
 道路などの社会インフラだって、単純労働の部分があり、そこは人月計算されている。しかし、その単純労働の部分は、周りから見える仕事であり、監督者が監督できるということで成り立っている。サーバースペースの単純労働は、周りからも分からず、しかも本当は単純労働ではない、ということが問題である。
 つまり、ソフトウエアを人月で計算することろから脱却しないと、インフラを担える産業には脱却できないのかもしれない。ソフトウエアを人月計算することの愚かさは昔からわかていることで、名著人月の神話で既に解き明かされていることである。

2011年3月 5日 (土)

科学と技術の違い:「石橋を叩けば渡れない」から

 前に書いた続きで、石橋を叩けば渡れないという本の紹介を続ける。
 科学と技術は全く違う、という章がある。

「科学と技術とは、全くちがうんだ」ということは、「知識を得ることが科学なのである」ということです。<中略>もしそれが本当に科学のような知識を得ることの研究であると仮定したら、一から役に立つ研究はないのです。<中略>知識を得ることが科学であるとしますと、その知識を、何かの目的で使うことが技術なのです。

 科学を嫌いな人が多い。しかしそれでも、このことは理解してもらう必要があると思う。科学で得られた知識をどのように応用するかは、技術者の仕事であり、それに必要な動機は異なる。科学者は真理が「知りたい」という動機だし、技術者は「役に立つものを作りたい」である。
 よく科学者の倫理ということが問題になるが、実験の方法などの手法論は別にして、知識を倫理で束縛するのはあまり良いことではないと思う。ところが、技術者は別だ。これが本当に世の中の役に立つのか、ということを問いかける職業倫理が必要であろう。
 たとえば、技術士の口頭試験では、技術者倫理の設問がある。その技術者の職業倫理を面接で見極めることが出来るかどうかは別にして、技術力だけでは技術士として認めるわけにはいかない、という考え方の表明であると思う。職業倫理というのは、理屈で決まるものではない。社会通念との関係性の上で成り立つものであろう。

2011年1月20日 (木)

情報工学:実物経験と設計

 情報処理学会の学会誌の「情報系学長、おおいに語る」という座談会記事に関する話を続ける。

基礎としての数学も大事だけれど、機械でプログラムを動かせるところがやっぱりエキサイティングなところだから、子供のころから工作感覚で体験できる機会を増やすことが重要ですね。
 
第1世代はアマチュア無線とかラジオとかが趣味で、そのあとでコンピュータを知った人たちが多い。そういう人たちはまずものとしてのコンピュータに興味を持った。しかし、インターネット世代では、これは難しい。
3年生にCPUの設計をさせて、クロスコンパイラを作らせて、実際に自分が設計したボードの上で動かすという抗議があるんですが、アンケートを取るとこの講義がいちばん評判が高いです。いちばん人的コストがかかっていますけどね。

 人的コストをかけて、ものの見える教育をする必要があるということだろう。
「抽象する」というのは、情報処理においてとても大事な過程です。抽象化とは、要するにデザインであると、私はいろいろなところで言っています。

 一見、先ほどの発言と矛盾するようだが、機械で動くものをその粒度では設計はできない。抽象化し全体アーキテクチャを設計し、詳細設計し、実際の世界で動くコードを作ることが技術者の仕事である。なんと幅が広い仕事であろうか。3Kとか言われて人気のない職種になってしまっているが、本当はやりがいのある仕事である。このことをもっとアピールする必要がある。

2011年1月19日 (水)

 情報処理学会の学会誌の「情報系学長、おおいに語る」という座談会記事に関する話を続ける。

ソフトウエアの開発者がプロフェッショナルとしてきちんと認識されていない、国家資格による専門職になっていないということも大きいです。

 本来はこれに近い役割を担うのが技術士という国家資格のはずだが、実際には全くそうなっていない。
たとえば東京スカイツリーが技術的な面でもとても注目を集めている、情報システムを構築するのだって同じように新しい手法で従来にないすごいことをやったとしてもマスコミは報道なんかしてくれないですよね、

 これは気持ちはわかるが難しいと思う。ソフトがそとからわからない最大の欠点がここだ。東京スカイツリーはすごさが一目でわかるが情報システムはわからない。しかも、もっと悪いことに、情報システムを作っている技術者の中にもソフトなんて時間と金さえあれば、なんでもできる、と思っている連中がいたりする。
 プロフェッショナルとしてきちんと認識されるためには、情報工学関連の仕事をしている技術者が、プロフェッショナルとして技術を理解し、優れた技術者を尊敬する風土が必要だと思う。

2011年1月18日 (火)

情報工学:大学の問題意識

 情報処理学会の学会誌が届いたので見てみたら、「情報系学長、おおいに語る」という座談会記事で、大学の方の問題意識がよくわかった。たまたま前回、情報工学が実務の役に立つ学問であってほしい旨を書いたが、大学の方も危機意識があるようである。
 少し引用する。

卒業研究の時には、ある程度はプログラミングができるようになっていてほしいんですが、最近の学生はできなくなっている。そもそも彼らと話していて感じるのは、ハードウエアもソフトウエアも完全にモジュールを組み合わせるものだと思っている。だからモジュールの中は、ブラックボックスでいいんです。動かなくなったら、開けて感がてみるんでなくて、次のと交換すればいいと思っている。

 これなんてまさに今、企業の現場で起きていることである。何か問題があっても、原因を追究せず、リセットしたり、再インストールしたりしている。動かすのではなく、動くまでやみくもに試行錯誤している。
 自分でプログラムを書かずに、インターネットで探してくる、という風潮も指摘されている。
 やはり、企業の現場で起きていることは、大学で既に起きていることで、心ある大学人は危機意識をもっていることがよくわかった。
資金は研究につけるのではなくて、教育につけるべきで、教育に必要な研究はその予算でやってもいい。それ以上の研究をするなら、自力でどこからでも取ってこいと、そういう感覚でやっていくしかないだろうと思います。

 ここまで教育を真剣に考えている大学人がおられるとは正直思わなかった。こういう方々が大学教育を良いものにして、原理をきっちり理解し、プログラミングができる学生を企業へ送り出せるようになることを切に期待している。 

2011年1月17日 (月)

情報工学は実務の役に立つのか

 理系離れが言われて久しい。その人気のない理系の中でも情報系の人気の凋落はびっくりする。私が情報工学科へ入学したのは今から33年前だが、そのころは電子工学科と1.2を争う人気学科であった。
 当時は、ミニコンピュータ全盛時代で、UNIXがひろがりはじめたころだった。あのころは、コンピュータのCPUの開発も日本企業がけんめいにやっていたころだったので情報工学科できっちりとコンピュータアーキテクチャを教えていた。論理回路で実際に1命令コンピュータを作って動かすという実習もあった。
 しかし時代は変わり、今や情報工学科というのはソフトウェアを教える学科になってしまっているようだ。去年、情報工学科から2人新人が入ったが、JAVAのソフトは書けても、デバイスドライバを書くということがどういうことかというイメージもわかないようである。
 メーカーにおいて、モノと密着したソフトは今後も必要である。Androidのように、プラットフォームを提供してアプリケーションはサードベンダに開発してもらったとしても、そもそものぴプラットフォームを開発する力量が必要で、そのためには、情報工学の基礎をきっちりと理解した技術者が必要になるはずである。
 アルゴリズムの授業で使った言語はPascalだった。今やPascalなんて使っている人はほとんどいないが、その時の授業は今でも実務の役に立っている。言語の応用だけでなく、基本を学べたからであろう。情報工学は実務の役に立つと信じているし、大学も基礎をきっちり叩き込んでほしい。
 こんな教育をしても論文になりそうもないところが、大学としては難しいところなのだろう。

 

2011年1月 3日 (月)

現場がなぜ力を失うのか:ドレイファスモデルから

 リファクタリング・ウェットウェア ―達人プログラマーの思考法と学習法に記載されたドレイファスモデルの話を続ける。
 この本のP.21に下記のような趣旨が記載されている。
 ・プログラマー自身がただの役立つ「モノ」として軽視される傾向がある。
 ・給与体系が不公平なため、達人プログラマーは管理・指導・講演活動へ移り、プログラミングは初心者や中級者に委ねられることになる。
 ・形式的な方法と道具に依存しすぎたために実践における現実の経験が不足する。
 ・ついには、真の目的であるプロジェクトの成果を見失う。

 これは、日本の組み込み技術開発の現場で起きている現実と見事なまでに符合する。
 組み込み技術は、ハードとソフトの界面に位置し、いわゆるすり合わせが不可避な分野だ。すり合わせというのはある種、職人的な技能を必要とする。しかし、プログラミングを軽視する風潮が、職人芸的技能の習得を妨げることになる。設計のようなレベルの高い仕事は社員がやり、その設計に基づいたプログラミングの良いなレベルの低い仕事はアウトソーシングすればいい、という考えだ。設計が重要というのは確かである。しかし設計は現場経験がないと、コストと品質のバランスを欠いたり、テストが終息せず大きな納期遅れにつながったりという副作用を伴う。
 ここに、CMMIという仕組みを形式的に導入するという不幸が重なると現場はとんでもないことになる。
 プログラミングの重要性を経営層が理解し、管理職ではない達人プログラマーを正しく処遇することが重要である。

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