カテゴリー「スキル」の記事

2018年2月25日 (日)

日経ビジネス2/19号の特集「社員(アナタ)の賞味期限」:結局、使い捨てということ?

 この特集で、社会の変革に、今までの社員がついていけない場合、再教育するのは難しいとある。新しい社会についていける人材を、社外から調達すべきである、という主張だ。で、残った社員は、どうなるかというと、特集の言葉を借りていうなら、賞味期限切れである。つまり、廃棄されることになる。
 前に、AI人材をこんなに雇用して大丈夫か?ということを書いた。たぶん、10年もたてば、そうした人材は、賞味期限切れになるのだ。そして、企業は、再教育しない。大量の使い捨てになる。
 基礎的な技術を身に着けた技術者は、自力で、新しい技術を身に着けることができる。でも、表面的な技術しか身に着けず、その会社特有の応用エリアでしか仕事をしたことがなければ、どうしようもないということになりかねない。

2018年2月23日 (金)

そんなにAI人材を欲しがる企業があるとは:でもブームが終わったら用済みにならなければいいが

 優れた大卒AI人材を地道に採用、秘策を見つけたLIXIL | 日経 xTECH(クロステック)とか、3年で600人以上のAI人材を、ダイキン異次元の育成策 | 日経 xTECH(クロステック)とか、パナソニック、2022年までにAI人材1000人 | 日経 xTECH(クロステック)とかの記事を読むと、IT企業以外でもAI人材が必要で、採用・育成のために工夫している姿がうかがえる。
 でも、IT企業以外で、AI人材をそんなに採用・育成して、大丈夫なのだろうかと、人ごとながら心配になる。なぜなら、そういう企業で、AI人材が主流技術であるとは思えないからだ。今のAIが、そのまま根付いてくれればいいのだが、そうでなく、ブームでしかなければ、10年後に主流ではない技術者は、余ってしまう。そういう時に、スキルチェンジできればいいのだが。
 私自身はAIに詳しくないので、いろんな解説記事を読んだ時の印象にしかすぎないのだが、AI技術にも応用系と基礎系があって、基礎系の方はしっかりとした工学的基盤があるが、応用系の方はどうなのだろう?と思う。

2018年1月21日 (日)

機械翻訳されやすい日本語を話す:なるほど

 私は英語が苦手だ。他のスキルに比べて、あまりにも勉強と成果のパフォーマンスが悪すぎる。このあたりの愚痴ついては、以前も書いたことがある。
 ただ、自動翻訳の進歩によって、このあたりのところは解消されるかもしれない。翻訳AIの進化でこれ以上の英語学習は不要? (5ページ目):日経ビジネスオンラインは、私のような語学音痴には、うれしい話だ。英語学習に無駄に使った時間とお金は返ってこないが。
 この記事で面白いのは、自動翻訳が使える技術になっても、やはり限界があり、話す方の工夫も必要という指摘である。少し引用する。
機械が正しく訳してくれるような日本語を話す、書くという訓練を積むのも、これからの語学学習では重要になる可能性もあります。日本語を話す時も、主語をしっかり明確にするとか。そうすれば、論理的に物事を考える訓練にもなりますし、機械だけではなく、自分で英語を話すときも、英語に訳しやすくなります。当然、機械も英語に訳しやすいだけではなく、中国語や韓国語も正確に訳してくれます。
 なるほど、と思った。世の中の自動翻訳は、英語のような構造を中心に進歩している。日本語のようなマイナーな言語は、ある程度、英語のようなメジャーな言語に正確に翻訳できる言葉を話すことが、今後のグローバル化に必要なスキルになるのかもしれない。

2017年2月23日 (木)

ガラパゴス企業に勤めているとたくさん生息しているガラパゴス技術者

 ガラパゴス・エンジニア:101回死んだエンジニア:エンジニアライフは、大企業の技術者をずっとやっている技術者として、本当に耳の痛い話だ。実際に、こういう技術者をよく見る。いったい、何のためにエンジニアをやっているのだろうか?とも思う。

2017年2月 4日 (土)

文系エンジニア:学歴としての文系は問題ではないが、知識体系としての文系エ ンジニアは問題だ

 人月神話の弊害?:文系エンジニアはなぜ誕生したのか~日本の現実 (1/3) - @ITという記事を読んだ。結論は、コンピュテーショナルシンキングが重要ということらしい。コンピュテーショナルシンキングっていったいなんなのだろう?
 技術者にとって必要なのは、技術分野に関する知識体系と、その知識体系を実装するスキル、そして、それらを実務として遂行する業務遂行能力である。
 文系エンジニアというのは、大学で文系専攻でありながら、技術者である人のことのようだ。確かに、化学系や材料系で、文系専攻出身者はほとんどいないだろう。
 ところが、IT関連技術者の場合、文系専攻出身者が多いらしい。らしいというのは、私の周辺にはいないからだ。化学系だったとかの異分野の理系出身者はいても文系出身者はいない。
 私は、大学の専攻は、なんでもいいと思う。知識体系さえきっちりと理解できていれば、のことだが。開発の世界で必要な知識体系は、大学の専門と必ずしも一致しない。たとえば、組み込み技術は、情報工学、電子工学、通信工学あたりの知識体系を必要とする。コンピュテーショナルシンキングだけでは開発できない。オームの法則を理解していない組み込み技術者の開発した機器など、安全上の問題すら発生するだろう。

2016年12月 6日 (火)

技術者としての能力と管理職としての能力

 前回の続きである。この記事には、こんな記述もあった。「優秀なエンジニアほど早々と管理職になってしまうが、優秀な管理職になるとは限らない。」
 難しいところだ。私は、古い体質のメーカー勤務だったので、若い頃は、当然管理職を目指すものだと思っていた。そして、管理職になった。
 管理職として、出世はしなかった。優秀な管理職でなかったのだろう。では、技術者のままであったらどうだったのだろう?若い頃は、若い技術者としては優秀だった。でも、そのままベテラン技術者になったときに、ベテラン技術者というカテゴリーでも優秀だったかは、正直言ってわからない。

2016年12月 5日 (月)

技術者のキャリアの最大の課題:管理職にならないと給料は上がらない

 10人のIT部門が消滅~ひとり情シス顛末記 - [第7回]最大のリスクが顕在化、長期休養でIT担当者が不在に:ITproを読んで身につまされた。「管理職にならない限り、どんなにエンジニアとして努力し結果を出しても、評価されないのである。」
 最近では、IT系ベンチャー企業などでは、優秀な技術者を技術者のままで高給で優遇している場合もあるようだ。でも、普通の企業のIT担当者(いわゆる情シス担当)は、そうはいかないようだ。
 そして、それは、組み込み技術業界でも同じである。組み込み技術というのは、いわゆるメーカーの社員である場合が多い。メーカーというのは、古い体質という意味ではトップクラスである。ソフトウエアハウスの社員であっても、組み込み業界のソフトウエアハウスは、発注先であるメーカーと同じように、古い体質のところが多いように思う。
 組み込み技術というのは地味な技術なので、トップ技術者というのが育ちにくい分野だという側面もあるとは思う。しかし、給料が上がらない理由の第一は、管理職にならないと給料が頭打ちになる給与システムである。

2015年8月 3日 (月)

器用貧乏とセンス

 日本刀の名匠が語る「下手」の本質 - 技術経営 - 日経テクノロジーオンラインの冒頭の部分を少し引用する。

「うまいやつというのは、どうも危険やな」
 現代を代表する日本刀の刀匠、河内國平さんは言います。弟子の時代にうまかった人が将来、大成するとは限らない。むしろ、その方が少ないのだそうです。


 わかる気がする。もう少し引用する。

「うまい人というのは、あまり努力せえへんのかもな。もしかしたら、一生懸命やっていても、何かが漏れてしまうのかもしれん」

 そうかもしれない。いわゆる器用貧乏というやつである。
 でも、一方で、どれだけ努力しても、大成しない場合がある。センスがない、という場合だ。
 センスがあって、技術の奥深さに対して、懸命に努力するというのが、理想なのだろうが、なかなか難しい。
 自分をふりかえると、センスとか、努力という次元ではなく、好きだから、というので続けられている部分がある。最先端の技術ではなく、民生機器の組み込みという地味な技術だから、それで通用してきたのかもしれない。

2015年6月26日 (金)

ヒアリングの際に「なぜ」は禁句:日経ITProの記事より

 (6/7)脱出! 暗闇プロジェクト - 情報は「質」より「量」、ヒアリングで「なぜ」は禁句:ITproの記事の、ヒアリングの際に「なぜ」は禁句は、意外な盲点である。要求分析の際に、担当者が現場に「なぜこの資料を作成するのですか」と質問したら、「F部門から作成指示が来たから」という言葉が返ってきたという。担当者は、その資料作成の目的を聞きたかったのに、そういう回答にはならなかたのである。これは、「なぜ」という言葉を使ったからだという。少し引用する。

 担当者が知りたかったのは「誰のために」「どのような目的のために」「どのような価値を生み出すために」その資料を作成する必要があるのか、である。ところが「なぜ」と尋ねたところ、相手の回答は「目的」ではなく、その作業の「原因」に関するものだった。


 こういう話はよくあることである。使う言葉を選ぶというのは重要なノウハウだ。これと同じようなことで思い出したのが、以前書いたどうして「質問形式」で叱ってはならないのか?:日経ビジネスオンライン記事である。叱るときに「なぜ」という言葉を使うことで、叱られる方が言い訳をしたくなるという。
 なぜ、という言葉は、自分が振り返る場合に使うのはいいが、人と話をするときには、曖昧な言葉なのかもしれない。

2015年6月23日 (火)

ソフトウエアが設計だけでは作れない理由:コンピュータの自由度の大きさが理由ではないだろうか?

 前回に引き続き、ソフトウエアの設計と実装の関係について、少し考えてみる。
 同じ記事の中で、「設計図と建物」はなぜ可能なのかについての発言を引用する。

 構造計算なんかは、もうノウハウとして、サイエンスとしてしっかりしている。構造計算をしっかりしておけば、実際に建ててみなくても建物の強度は分かる。そういう意味でいうと、ソフトウエアというのはある意味サイエンスにはまだなってない。作ってみなきゃいけないことがいっぱいある。

 この発言に続いて、ソフトウエアはサイエンスではなく、アートである、という話が出てくる。これは、昔から言われている話である。でも、なぜソフトウエアがサイエンスでないのだろうか?
 私が思うに、コンピュータの自由度の大きさが理由だ。コンピュータ上に仮想的に作られる対象は、あまりにも自由度が大きい。サイエンスで扱うには、対象の自由度が大きすぎるのである。
 建築の場合、現実世界の物理法則は変わらない。それが、建築という世界を貫く法則としてあり、それを基に設計することになる。これがサイエンスである。
 コンピュータでもハードウエア設計は、電気や熱などの物理法則に従って設計しなければならない。だからサイエンスだといえる。コンピュータサイエンスというのは、本来はハードウエアの世界で使う言葉だろう。
 では、ソフトウエアはどうなんだろう?仮想世界を貫く法則はない。仮想世界を記述する言語があるだけである。これは、確かに、サイエンスではなくアートに近い。
 つまり、本質的にソフトウエアは、サイエンスではないのである。サイエンスでない以上、設計と実装とを分離するという開発はあり得ない。

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